{"componentChunkName":"component---src-pages-stories-story-json-index-tsx","path":"/stories/5/","result":{"data":{"locales":{"edges":[{"node":{"ns":"translation","data":"{\"home\":\"ホーム\",\"philosophy\":\"哲学\",\"story\":\"物語\",\"purchase\":\"購入\",\"catchcopy\":\"その恋は、やがて愛に変わる\",\"catchcopyMobile\":\"その恋は、<br />やがて愛に変わる\",\"philosophyBody\":\"<p>「ピアノを弾く」というのにもいろいろあって、楽譜を見て、書いてある通りに正確に弾くのが好きな人もいれば、何も見ず、身体が動くままに任せて即興的に弾くのが好きな人もいます。ぼくは後者の方です。</p><p>ところが、ぼくが学んだクラシック音楽の世界では、前者のような再現的な演奏に比べて、即興という演奏のスタイルはあまり価値があるとは思われていません。それにはクラシック音楽が今までに積み上げてきた歴史が関係しているのですが、その話は長くなるのでここでは触れません。ともかく、クラシックの世界にいたぼくからすると、ぼくが身体に任せて弾く音楽は、少なくともぼく自身にとっては音楽ではなかったのです。</p><p>ぼくの中には、そのようなたくさんの「音楽になれない音楽」が、がらくたのように転がっていました。若いころには、それが誰の耳にも届かなくても、それで良いと思っていました。ところが歳を取ると、いつまでもほこりまみれのそれらをみて、なんだかかわいそうな気がしてきました。せめてほこりを拭いて、棚に置いて、だれかの目に届くようにしてあげたいと思うようになりました。</p><p>そうして並べられたこの8つの「音楽になれない音楽」には、ぼくの人生で訪れたいくつかの出来事に対する色々な気持ちを封じ込めましたが、実はぼくは、それを音楽だけで伝えることができるとは思っていません。ぼくは、ぼくを良く知るだれかが、ぼくの音楽と人生を繋げて語ってくれることで、はじめてそれが達成されると思っています。でも、それが可能な人間は、世界でぼく自身しかいないような気がしました。だから、音楽だけでは伝わり切らずこぼれていってしまうものを、自分のことばの器で受け止めることにしました。</p><p>できあがったこの作品がいったいなんと呼ばれるべきなのか。音楽作品なのか、詩集なのか、画集なのか、エッセイなのか、はたまたデジタルアートなのか、正直なところぼくにもわかりません。しかしもし、この作品中に詰め込まれた断片的なイメージを通して、最終的にその「わからなさ」まで含めた体験をだれかと共有できたとすれば、ぼくのもくろみは成功したと言えるでしょう。</p><p>欲を言えば、その過程でぼくの「音楽になれない音楽」が、音楽としてだれかの心に響いてくれるとうれしいです。</p>\",\"purchaseInfo\":\"CD版とデジタル版があります。それぞれ下記のプラットフォームでお求めください。\",\"purchaseTrialHead\":\"試聴について\",\"purchaseTrialBody\":\"このWebサイトの各物語のページで部分的に試聴できるほか、<a href=\\\"https://kyleideta.bandcamp.com/album/gardener\\\" target=\\\"_blank\\\" ref=\\\"noreferrer\\\">Bandcamp</a>で全曲を最後まで試聴することができます。Bandcamp上での視聴は1曲につき3回までとなっています。\",\"purchasePinkoiHead\":\"Pinkoiで購入する\",\"purchasePinkoiBody\":\"<p>PinkoiではCD版を販売しています。Pinkoiではデジタルデータの販売を行うことができず、また規約上外部サービス等への誘導も禁止されていますので、<strong>Pinkoiで販売するCD版にはデジタルデータは付属しません</strong>。MP3等のデジタルデータが必要な場合は、ご自身でCDから取り込んでいただく必要があります。予めご了承ください。</p>\",\"purchasePinkoiLinkLabel\":\"Pinkoiの商品ページを見る\",\"purchaseBandcampHead\":\"Bandcampで購入する\",\"purchaseBandcampBody\":\"<p>BandcampではCD版とデジタル版を販売しています。BandcampでCD版を購入された場合にはデジタル版も付属し、Bandcampの提供するアプリなどを利用してデジタルデータを直接ストリーミング・ダウンロードすることができます。詳しくはBandcampのサイトをご覧ください。</p>\",\"purchaseBandcampLinkLabel\":\"Bandcampの商品ページを見る\"}","language":"ja-jp"}}]},"story":{"id":"2700bcfe-9fad-5ab6-8983-8f0a1202311b","title":"夕焼け小焼け","subTitle":"Yuyake Koyake","index":"5","body":"<p>夕方に日本の人とZoomミーティングをしていると、相手のマイクを通して近くの公園のスピーカーから流れた『夕焼け小焼け』が聞こえてくることがあり、それを耳にすると、ああ、まだ「そう」なんだなと、なにか安心したような気持ちになります。昔のぼくにとってそうだったように、『夕焼け小焼け』は、日本では今でも子供たちに帰宅を促す音楽であるようです。</p><p>数年前、夕陽の中で車を運転していたときのことです。後ろに座っていた娘が『夕焼け小焼け』を歌い始めたことがありました。幼稚園で教わってきたのだそうですが、台湾で生まれ、中国語で教育を受ける娘が、「からすと一緒に帰りましょう」と拙い日本語で歌うのです。忘れていたのか、あえて封じ込めていたのかはわかりませんが、色々な感情が溢れてきました。</p><p>「そう」であるときには、それが当たり前ですから、特別な何かは感じないかもしれません。それが日常というものです。しかし、「そう」ではなくなったときに、それは途端にその不在を主張し始めます。たしかに娘は『夕焼け小焼け』を知りましたが、ぼくがこの曲に見出すイメージを娘と共有できることは、おそらくないでしょう。娘が生きるここは、「そう」ではないからです。ここにはもう、からすはいないのです。</p><p>いずれ、ぼくはどこに帰るのでしょう。娘たちが待つ家でしょうか。生まれ育った場所でしょうか。答えはいつも、橙色の空に滲んでいて、よく見えません。</p>","albumId":"1417470614","trackId":"4211083141"}},"pageContext":{"id":"2700bcfe-9fad-5ab6-8983-8f0a1202311b","index":"5","__params":{"index":"5"},"language":"ja-jp","i18n":{"language":"ja-jp","languages":["ja-jp","zh-tw","en-us"],"defaultLanguage":"ja-jp","generateDefaultLanguagePage":false,"routed":false,"originalPath":"/stories/5/","path":"/stories/5/"}}},"staticQueryHashes":["3753363658"]}